「うちのマンション、修繕積立金がそろそろ足りなくなりそうです」
理事会の席で管理会社の担当者からそう告げられた瞬間、空気が一気に重くなります。誰かが顔を見合わせ、誰かが机の上の資料を意味もなくめくり、誰かが「いや、それはちょっと…」と言いかけて口をつぐむ。私自身、自宅マンションの修繕委員長を引き受けたとき、まさにこの光景を体験しました。
申し遅れました。佐々木正樹と申します。商社の総務部で30年働いた後、早期退職を機にマンション管理士の資格を取得し、現在は築28年・180戸の自宅マンションで2回の大規模修繕に関わってきました。1回目は新人理事として、2回目は修繕委員長として陣頭指揮を執った人間です。
修繕積立金が足りないと分かった瞬間、理事会で一番怖いのは「とりあえず先送り」という判断です。先送りした分だけ後の世代が苦しむ。だからこそ、不足が見えたタイミングで動き出すための初動を、現場目線で整理しておきます。
修繕積立金が足りないマンションは、もはや少数派ではない
まず最初に押さえておきたい事実があります。
修繕積立金が不足しているマンションは、いまや決して例外的な存在ではありません。
国交省の最新調査が示す「3割超が不足」というリアル
国土交通省が公表した令和5年度マンション総合調査によると、長期修繕計画上の積立残高に対して、実際の修繕積立金残高が不足しているマンションは全体の36.6%にのぼります。さらに、そのうち20%以上不足している物件が11.7%含まれているという報告もあります。
私が初めてこの数字を見たとき、正直なところ「うちだけじゃなかったのか」と少し肩の力が抜けました。同時に、これだけ広範囲で起きている問題なら、誰かが先に正解を出してくれるのを待っていても始まらない、と覚悟も決まりました。
なぜここまで不足が広がったのか
理由は1つではありません。私が現場で見てきた範囲では、次の3つが重なって起きています。
- 新築時の修繕積立金が、当初から低めに設定されていた
- 段階増額積立方式で計画していた値上げが、住民の合意を得られず予定通り進まなかった
- 想定していた工事費が、ここ数年のインフレで一気に膨らんだ
要するに、入口の設定が甘く、途中の値上げが進まず、出口の工事費だけが上がった。3つのギャップが積み重なって、いまの不足が表面化しています。
不足の原因を理事会で正しく言語化する
「足りない」という事実だけを共有しても、議論は前に進みません。なぜ足りなくなったのかを、理事全員が同じ言葉で説明できる状態にすることが先です。
段階増額積立方式の落とし穴
新築マンションの多くは、段階増額積立方式と呼ばれる仕組みを採用しています。最初の積立金は安く、5年ごと、10年ごとに段階的に上げていく方式です。
分譲会社にとっては「最初の負担が軽い」と訴求できるので売りやすい。買い手にとっても初期は楽。ところが、いざ値上げのタイミングになると、当時の購入者は既に住み慣れていて、「最初の説明と話が違う」「いまの生活で値上げは厳しい」と反発が出やすくなります。
国土交通省の調査でも、計画通りに値上げまで実行できたマンションは約6割。裏を返せば、約3割は計画通り値上げできていない現実があります。
工事費インフレと長期修繕計画の現実
もう1つの大きな問題が、工事費の上昇です。
人件費、資材費、エネルギー費。どれも長期修繕計画を作った当時の単価から、大きく動いています。10年前に「2,000万円で済む」と見積もっていた工事が、いざ実施段階になると2,500万円、3,000万円と膨らんでいるケースは珍しくありません。
これは管理組合のせいではないのですが、計画通りに積み立ててきたつもりでも、出口の金額が変わってしまえば不足する。長期修繕計画は「作って終わり」ではなく「定期的に最新の単価で組み直すもの」だと、理事全員で認識を揃えておく必要があります。
「予定通り値上げできなかった」歴史を直視する
恥ずかしい話、私のマンションも過去2回、値上げ議案を総会に出して2回とも否決しています。
理事会としては「いつかやらなきゃ」と思いながらも、住民説明会の準備や反対意見への対応を考えると腰が重くなり、結局は提案を見送る。あるいは形だけ提案して、反対多数で潰れる。
この「積み残し」が今になって効いてきています。理事会で過去の総会議事録を遡って読むと、何回値上げのチャンスを逃してきたかが見えるはずです。これを直視できるかどうかが、最初の分かれ道になります。
理事会が最初にやるべき5つのこと
ここから本題です。修繕積立金が足りないと分かった理事会が、最初に取り組むべき5つの動きを整理します。
1. 現状を数字で正確に把握する
「足りない」だけでは何も動きません。
具体的に、いくら足りないのか。何年後の何の工事に対して、どのくらい不足するのか。これを数字で把握するのが最初の仕事です。
私が修繕委員長になったとき、最初にやったのは長期修繕計画の最新版と、過去5年分の収支報告書をすべてプリントアウトして並べることでした。アナログですが、これが一番効きます。
チェックすべきは、おおむね次の項目です。
- 現在の修繕積立金残高
- 直近の年間積立額(戸あたり月額×戸数×12)
- 5年後・10年後・15年後の予定残高
- それぞれのタイミングで予定されている工事の見積額
- 不足が発生する時期と、その金額
ここまで揃って初めて「うちは10年後の大規模修繕で〇〇〇万円足りない」というところまで言語化できます。
2. 長期修繕計画を最新の工事費で再シミュレーションする
次に、長期修繕計画そのものを疑う作業に入ります。
いま管理会社や設計事務所から提供されている長期修繕計画は、いつの単価で作られたものでしょうか。3年前? 5年前? それより古いものだったら、その金額はもう信頼できません。
ここは管理会社に「最新の工事費単価で再シミュレーションをお願いします」とはっきり依頼します。費用はかかりますが、古い単価のまま計画を維持していても判断を誤るだけです。私のマンションでも、再シミュレーションをかけた結果、当初想定より約1.3倍の不足が見えてきました。怖い数字ですが、見えたほうがマシです。
3. 不足の補填手段を全部テーブルに並べる
不足が分かったら、補填手段を「すべて」並べます。1つや2つに絞らず、まず全部を見える化する。これは私の失敗から学んだコツです。
1回目の大規模修繕のときは、いきなり「値上げか、一時金か」の二択で議論を始めてしまい、住民の反発を受けてどちらも通らない展開になりました。後から振り返ると、他の選択肢を理事会が把握していなかったことが原因でした。
補填手段の代表的なものは次の通りです。
- 修繕積立金の月額値上げ
- 一時金徴収(大規模修繕実施時に1戸あたり数十万円を徴収)
- 金融機関からの借入(住宅金融支援機構のマンション共用部分リフォーム融資など)
- 工事内容の見直し(仕様変更、優先順位の組み替え、施工範囲の調整)
- 工事時期の延期(積立期間を伸ばす)
それぞれメリット・デメリットがあるので、後ほど比較表で整理します。
4. 住民への情報共有プランを描く
理事会で結論を出すより前に、考えておかなければならないことがあります。
それは「住民にいつ、何を、どの順番で伝えるか」という情報共有のロードマップです。
住民にとって積立金の問題は、最終的には自分の財布の話です。突然「来月から月5,000円アップします」と通知が届けば、誰だって身構えます。逆に、半年前、1年前から段階的に情報が出ていれば、心の準備ができます。
私のマンションでは、修繕委員会発足から値上げ総会まで、約14か月かけて次のような順序で情報を出していきました。
- 修繕委員会の発足を理事会だより1号で告知
- 長期修繕計画見直し中であることを2か月後にお知らせ
- アンケート実施で住民の意見を吸い上げ
- 説明会を3回(平日夜・休日午前・休日午後)に分散開催
- 議案書を総会2か月前に配布
- 個別質問期間を設けてQ&Aを掲示板に公開
「住民が反対するかも」と恐れすぎる必要はありません。ただ、住民が「知らないうちに決まっていた」と感じるのが一番危険です。情報を出すタイミングだけは、丁寧に設計する価値があります。
5. 外部の専門家を入れるかどうかを判断する
最後に、これは理事会単独で抱えるべき問題なのかを冷静に考えます。
管理会社の担当者は親身に相談に乗ってくれますが、利害関係者でもあります。長期修繕計画の見直し、業者選定、工事内容の見極めは、第三者の専門家の知見が入ったほうが結果として住民の納得感が高くなる場面が多いです。
ここでいう専門家には、大きく分けて次のような立場があります。
- 独立系の設計事務所(大規模修繕コンサルティング、長期修繕計画見直し)
- マンション管理士
- 一級建築士事務所
- 公的な相談窓口(マンション管理センターなど)
費用は当然かかります。ただ、その費用以上に「住民への説明資料の質」や「業者選定の透明性」が上がるなら、十分に元は取れます。
補填手段の比較:一時金、借入、値上げ、工事内容調整
ここで、先ほど挙げた補填手段を表で整理しておきます。理事会の議論用にそのまま使える形にまとめました。
| 手段 | メリット | デメリット | 向いているケース |
|---|---|---|---|
| 月額値上げ | 根本的な解決になる/世代間で負担を分散できる | 住民の合意形成が難しい/生活費への影響大 | 不足額が比較的小さく、十分な準備期間がある |
| 一時金徴収 | 短期間でまとまった金額を確保できる/金利負担なし | 1戸あたり数十万円の負担で反発が大きい/滞納リスク | 工事直前で値上げが間に合わないケース |
| 借入 | 工事を予定通り実施できる/月々の積立金で返済可能 | 金利負担が発生/審査と保証が必要 | 値上げと工事を並行して進めたいケース |
| 工事内容の見直し | 即効性がある/住民の追加負担を抑えられる | 建物の状態によっては将来コストが増える可能性 | 仕様の優先順位を整理できる場合 |
| 工事時期の延期 | 積立金の追加積み増し期間を確保できる | 建物の劣化が進行/結局工事費が上がる可能性 | 緊急性の低い工事項目に限られる |
理想を言えば「月額値上げ」だけで解決するのが一番きれいです。ただ現実には、不足額が大きいケースでは、複数の手段を組み合わせることになります。私のマンションでも、月額値上げ+工事内容の見直し+一部借入の3点セットで乗り切りました。
なお、借入については独立行政法人住宅金融支援機構が「マンション共用部分リフォーム融資」を提供しています。管理組合が直接申し込める公的融資なので、まずはこの窓口を検討するのが定石です。
値上げの合意形成、現場でつまずきやすい3つのポイント
補填手段の中でも、最も合意形成が難しいのが月額値上げです。ここでつまずく理事会が多いので、特に注意したい3点を共有します。
アンケートで反対意見の「形」を先に掴む
値上げの議案を総会にいきなり出すのは、私の経験では絶対にやってはいけません。
最初にやるのはアンケート調査です。「いくらまでなら受け入れられるか」「反対の理由は何か」を、議案化する前に把握する。これをやらずに議案を出すと、総会当日に初めて反対意見が噴き出して、議長が制御できなくなります。
アンケートの項目はシンプルでかまいません。
- 現在の修繕積立金が安いと思うか/高いと思うか/妥当だと思うか
- 値上げに賛成か/反対か/条件次第か
- 反対の場合、その理由は何か
- 月いくらまでの値上げなら受け入れられるか
回収率は5割いけば上出来です。匿名アンケートにすると本音が出やすくなります。
「いくら×何年」を住民が自分ごとで計算できる資料
総会の議案書には、必ず「自分の家ではいくらになるのか」が瞬時に分かる資料を添付します。
専有面積別の月額シミュレーション表が王道です。たとえば、60平米なら月額〇〇円、70平米なら〇〇円、80平米なら〇〇円、という具合に。年間にするといくら、10年でいくら、という縦の計算も添える。
住民は自分の数字でしか反応しません。「全体で年間〇〇万円増収します」と言われても、財布感覚には響かないのです。
普通決議か特別決議か、議案の書き方
ここは少し技術的な話になります。
修繕積立金の値上げは、基本的には普通決議(出席組合員の議決権の過半数)で決められます。ただ、規約の中で「修繕積立金の額については総会の特別決議による」と定めているマンションでは、特別決議(議決権の4分の3以上)が必要になります。
自分のマンションの管理規約を一度確認しておきましょう。普通決議で済むのか、特別決議が要るのかで、必要な賛成数も総会前の根回しの濃度も変わってきます。
それでも足りないときは、外部の力を借りる
ここまでやっても、理事会だけでは判断しきれない場面が出てきます。
特に長期修繕計画の妥当性チェックや、大規模修繕の業者選定、補修仕様の見直しは、外部の専門家を入れたほうが結果として住民の納得感が高くなります。
設計監理方式という選択肢
大規模修繕の進め方には、大きく2つの方式があります。
- 責任施工方式(施工会社が設計・施工・監理をまとめて担う)
- 設計監理方式(設計事務所が設計・監理を、施工会社が施工を分担する)
責任施工方式は手続きがシンプルですが、施工会社のチェック機能が働きにくい構造です。一方の設計監理方式は、第三者の設計事務所が施工会社の仕様や工事品質をチェックする立場になるため、管理組合側の利益を守りやすい。
特に近年は、独立系の大規模修繕コンサルティング会社や一級建築士事務所に長期修繕計画の見直しから依頼するマンションが増えています。業界で長く実績を積んでいる独立系の例として、マンション改修設計事務所として知られる株式会社T.D.Sの特徴や評判をまとめたページも、専門家を比較検討する際の参考材料になります。施工会社系のコンサルとは違い、独立系の設計事務所は施工とは別の利害関係にあるため、組合側に立った提案を受けやすい構造です。
公的な相談窓口も活用する
「いきなり民間に頼むのはハードルが高い」という理事会には、公益財団法人マンション管理センターの相談窓口や、各自治体のマンション管理相談コーナーもあります。無料または低額で初期相談ができるので、まずはこちらで全体感を掴むのも1つの手です。
国土交通省は2024年6月に「長期修繕計画作成ガイドライン・修繕積立金ガイドラインの改定」を行い、段階増額積立方式の引き上げ幅の目安(初期段階は均等積立方式の基準額の0.6倍以上、最終段階は1.1倍以内)や、均等積立方式の推奨を明確に打ち出しました。改定後のガイドラインは理事会の判断材料として非常に有用です。
まとめ
修繕積立金が足りないという現実は、ほとんどのマンションがいつかは向き合う問題です。
大事なのは、ショックを受けすぎないこと、そして先送りしないこと。
理事会としてやるべき初動は、次の5つに集約されます。
- 現状を数字で正確に把握する
- 長期修繕計画を最新の工事費で再シミュレーションする
- 補填手段を全部テーブルに並べて比較する
- 住民への情報共有のロードマップを描く
- 必要なら外部の専門家を入れる
このうちのどれか1つでも欠けると、合意形成は崩れます。逆に5つすべてを丁寧に踏めば、住民の反対意見はかなり整理された形で出てきます。
私自身、修繕委員長として2年半走った経験から言うと、住民は「お金を出したくない」のではありません。「納得できる説明がほしい」のです。納得できる説明をするためには、理事会自身が一番納得していなければなりません。
焦らず、急がず、ただし先送りせずに。今日からの一歩で、10年後のマンションの姿は変わります。